自分にも他人にも関心が持てない人間
他人に気を遣いすぎる。友達と一緒にご飯を食べに行く。例えばサイゼリアに行く。席に座る。まず必ず自分はソファーの側には座らない。相手にソファーの側を優先させる。絶対にそうする。なぜなら嫌われたくないから。席に座れば、すぐに水をとってくる。もちろん友達の分を持ってくるため。水を持ってきて気遣いが出来るアピールをする。ありがとうと言われる。いい気分になる。何か勝ち誇ったような気分になる。してやったぞと気分になる。これで1ポイント先制した、といわんばかりの気分になる。決して相手のために水を持ってきている訳ではない。相手の心に映る自分が気になるからだ。こいつはいいやつだ、優しい人間だ、そういう風に移ることに満足する。
食事が運ばれてくる。相手はスパゲッティで、こちらはハンバーグだとする。いつ、相手に一口あげようかタイミングをうかがう。小皿を用意する。どうぞと差し出す。もし一口もあげずにハンバーグを完食してしまえば、こいつは食い意地を張るやつダと思われるかも知れない。だから、一口あげる。決して、相手を喜ばすためではない、自分の印象をあげるため。
仕事でもそう、自分の仕事ではなかったとしても相手が楽になるだろうなと考えて、ついでに相手の分の仕事までやってしまう。そして、それもさりげなく行う。ここで相手の分までやってあげたよなんて言ってしまったら台無しである。作戦失敗、印象ダウン、そこは絶対避けなくてはいけない。しかし、気付いてもらえなかったら腹がたつ。むかつく。他の人と笑顔で話していると相手の心に自分が映っていないようで、腹が立つ。
カップル+友達(1人)で遊ぶ人がいる。僕はカップル側でも、友達側にも入りたくはない、なぜなら、二人に対して自分の印象を上げる操作をしなくてはいけないからだ。そして、自分をおいて二人で笑顔で話されたら自分が悲しくなるからだ。自分という存在がありながら、自分を差し置いて笑顔で話し合おうなんて、むかつく。
生きてきて、24年と9ヶ月が過ぎた。自分には何もない。会社に勤めたこともある。1年と1ヶ月でやめた。大きなプロジェクトを目前に、逃げ出した。会社という組織は嫌いだ。僕は人間が嫌いだ。人間が憎い。人間として生まれてきたことが嫌である。なぜそうなってしまったのかはわからない。もう友達も切ってしまいたい。すべてなかったことにしてしまいたい。高校生の時に自分の好きだった子に振られて、自分より格下だと思う女に手を出した自分が嫌いだ。自分の目指していた大学に受かることが出来ずに予備校にも通わず、ぐーたらぐーたらして格下の大学に入った自分が嫌いだ。僕は自分にしか興味がないくせに、自分のことなど一つも分かっていないのだ。自分の事が嫌いなのだ。
加藤諦三さんの本を読みあさった。自分はこの人が好きである。なぜなら、真剣に人の心と向き合い、そしてわかりやすく人の心理を説明してくれているからである。難しい言葉も多々出てくるが、何冊も読んでいると、あああのとき出てきた言葉のことかとわかる。
発達障害なのか。
自分は発達障害なのかもしれないと思ったのは最近。
24年と8ヶ月生きてきてようやく気づいた。
小さい頃から、両親の喧嘩は毎日続いていた。
父親はお酒が大好きだった。
母は真面目な人だった。
僕は父親が嫌いだった。父親はいつ怒鳴るかわからなくて、気がついたら父親の機嫌を常に伺う人間になっていた。父親の笑顔を作ることが至上命題だった。
幼稚園くらいの頃、僕は食パンにいちごジャムを塗るのが好きだったが、マーガリンを加えるのが嫌だった。しかし父親がマーガリンをつけたら絶対に美味しいからつけろといった。僕は嫌だった。一回試しにつけてみた。やっぱり嫌だった。いちごジャム単体の味が好きだった。マーガリンに邪魔されるのが嫌だった。しかし、僕は父親にこうしゃべっていた。
「マーガリンをつけるともっと美味しくなるね」
嘘つきだった。でもそこで「僕はいちごジャムだけのほうが好きなんだ」
この一言は、死んでも言えなかった。父親が不機嫌になり、自分に怒号が飛んでくるのが怖かったからだ。
母親といると気が楽だった。それは母親が好きだからだと考えていた。しかし、母親は本当は自分のことなど考えていない、心のない人間だった。まるでロボットのような人間だった。「早く寝なさい」「歯磨きをしなさい」「宿題をやりなさい」学校の先生が言うような、小学校低学年の教科書に書いてあるようなことを永遠に繰り返す人だった。冒険をとにかく嫌がる人で、安定が大好きな人間だった。
今の僕は母親に似ている。心がないロボットになってしまった。
僕は小説を読むのが本当に嫌いだ。
人の気持ちがわからないから。
しかし、人がどうしたら怒るのか、何を言われたら気分がいいかはよく知っている。
小学校、中学校、大学とそれだけを武器に、一度も友達をいえるような人を作ることなく、社会人になった。僕は、父親のような強い男に媚を売る人間だった。そのクラスのボス的な存在を見つける嗅覚がするどかった。「ああ、この人に嫌われなければ、このクラスでやっていけるな」そう思った。そして、雑魚キャラだと思うやつはとても優しく振る舞い、自分は悪者ではないんですよ、そう言うふうに振る舞った。心のなかでは人を見下していた。
高校時代、友達は一人もいなかった。移動教室のときも一人。さみしかった。
でも好きなこともなく、ただひたすらに勉強と部活にうちこんだ。しかし、自分の思うような結果は得られなかった。
なぜなら、頭の中はつねに人から認められるためにはどうしたらよいか、褒められるためにはどうしたらよいかしか考えていなかったからだ。「勉強を頑張るなら東大」「バスケを頑張るなら全国大会」そういうふうに考えていた。人から文句を言われない成績を取ることが目的だった。承認欲求の塊だった。
24歳になって、いま、僕の心は幼児のままだ。
未だに誰かから愛されたいと思っている。
自分の好きなことすらわからない。
自分が何を使用にも許可がいる気がする。
自分ひとりで行動することに恐怖を感じる。
電車にのると他人がいる。気にしなければよいが、なんとなく緊張する。
人にちょっとしたことが頼めない。
頭も悪く、会社では無能扱いを受けた。
新卒で入った会社で周りから馬鹿にされて、こんなやついないほうがましだと思われているようで、それに耐えられなくなり、1年と1ヶ月で会社をやめた。
大学で、運良く教員免許を取得していたこともあり、
放課後等デイサービスで働くことになった。
そこで、発達障害の子どもたちと出会った。
今まで、自分の怠惰が原因で仕事ができないと思った。自分の努力不足で、部活でも勉強でも結果が出せないと思った。長文読解が苦手で、本当に一行一行いくら文章を読んでも頭に入ってこない。何を言っているのか全く理解できない。人のはなすことが左から右へさーっと流れていく。ごめんなさいもう一度行ってくださいと言ってもう一回話してもらってもやはり理解できない。
自分はクソである。死にたい。生きていても何も楽しいこともない。しかし死ぬ勇気もない。ただ、食べて、無駄な脂肪を体につけて、排泄をして、寝て、起きてまた死にたいと思いながら発達障害の子供に勉強を教えたり、一緒に遊んだりしている。
自分を成長させるために勉強をしなくては行けない。このままでは何も変わらない。
自分はどうして、こんなに毎日が不安なのか、どうしてこんなにも空虚感が強いのか、どうして友達と他愛ない会話をたのしんでご飯を食べることができないのか、理解できない。普通に生きている人がすごいと思う。
高校時代にバカにしていた理想的な父親像。クレヨンしんちゃんにでてくるひろしがどれだけすごい人物なのか思い知らされた。自分がどんなに努力してもあんなにすごい人物にはなれないだろうと思う。
僕は、明日、精神科にいく。
自分が発達障害なのか、気分変調性障害なのか、自己愛性人格障害なのか、境界性人格障害なのか、回避性人格障害なのか、うつ病なのか、ただの甘えなのか、わからない。
わからないから、もう専門家に頼るしかない。
今までは両親の愛情不足が原因で頭がおかしくなってしまったと思っていた。
それを確かめにいく。
自分は他の人とは違い、どこかで何かが不足している欠陥製品のような感じがする。
みんなが笑うところで笑えない。
部活の最後の大会で負けてみんなが号泣しているところでぼくひとりだけ「はやく帰りたい」と思っていた。
こんな最低な人間がこれからどうやって生きていくのか。
自分は何者なのか。
こういうことをブログに書いて、自分可愛そうですよアピールをしているだけなのか、
誰かに「可愛そうだったね」といってほしいだけなのか、
しかし、かわいそうだね、つらかったねと言わるのは腹が立つ。
まるで「わたしにはあなた気持ちがわからないし、そんなことで苦しんでも時間の無駄だ」と言われている気がする。
そう、正論を言われている気がするから腹が立つだろう。
あぁ、やめてしまいたい、こんな人生。
みにくいアヒルの子 本当にきつい
こんにちは。おりょーです。
みなさんは「みにくいアヒルの子」知っていますか。
絵本でも小説?でもあるのですが、ここでは、ディズニーの動画作品でみたみにくいアヒルの子のストーリーを紹介します。そしてその中でも個人的にきついと思う瞬間について話します。youtubeにあがっているので、みてみたい人は是非。
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ある白鳥の卵があるアヒルの家族に紛れ込んでしまいます。
卵がかえったとき、アヒルの雛の肌は黄色。
しかし、一匹だけ白い子がいる。
そこで、アヒルのお父さんとお母さんは喧嘩します。
お母さんアヒルとアヒルのヒナたちはお母さんと散歩にでかけます。
白鳥の子もそれについていきます。
しかし、お母さんアヒルには蹴飛ばされ、アヒルの子たちには睨まれて仲間はずれされます。
白鳥の子は逃げて、一人でとぼとぼと歩きます。
そして、水面に映る自分の姿を見ます。
水面には白い体の自分が写っています。
それにびっくりして飛び上がります。
このとき、白鳥の子は「なぜ自分の肌は黄色じゃないんだろう」と思ったのでしょう。
その後、自分を愛してくれる仲間、お母さんを求めて、さまよいます。
まずは小鳥の巣にまぎれて小鳥のお父さんから餌をもらおうとします。
しかし、小鳥のお父さんは自分の子供ではないので、白鳥の子を追い出します。
次に、アヒルのお母さんの形をしたおもちゃが水辺に浮いているのでそれを生きていると勘違いして、愛してもらおうと頬を擦り寄せますが、おもちゃであることに気が付き、悲しくなり、また一人とぼとぼとあるきだします。
そして、また水面に写った自分の姿を見るのです。
そしてそこで、大泣きします。
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自分はこのシーンをみると、本当に悲しくなります。
自分はなぜ、アヒルの子と肌の色が違うのだろう。
黄色い肌でない自分が嫌になっているとおもうのです。
白鳥の子だから、そんなことはアタリマエのことで、なんにも悪いことをしていないのになぜか自分の肌が白いから悪いのだと、自分を責めてしまっているのではないかと感じるのです。
現代人で悩んでいる人はこういうことをしているのではないかと思います。
自分はそういう人間ではないのに、そういう適性を持っていないのに、自分に合わない人に認めてもらおうとする。
本当は認めてくれる人は探せばいるはずなのに、そして過去にもいたはずなのに、その人達の存在に気が付かず認めてくれない人ばかりに執着する。
そんなことをしているのではないかと思うのです。
みにくいアヒルの子では最後に白鳥の家族に出会い、お母さん白鳥に頬をすりすりしてもらって、仲間が見つかるのでよかったのですが、
現代に生きる人も自分を受け入れてくれる環境を探すことが大事だと思います。
心の悩みを解決したい人は加藤諦三さんの本を読むことを強くおすすめします。
こんにちは。おりょーです。
今日は自分が毎日通勤中に読んでいる本の紹介となぜその本を読んでいるのかについて話します。
私は毎日が憂鬱でたまりませんでした。
無力感、疎外感なんで生きているのかわからない。自分に向いていることは何なのだろう。どうしたら前向きに努力して結果を出せる人間になれるのだろう。
そういうことばかりを考えて、日曜の夜には死にたくなり、この世の終わりかのように思い、月曜日の朝には絶望的な気分で会社に行くということを繰り返していました。
今この記事を書いているのも、日曜日の夜であり、またすごく憂鬱な気分になっています。
加藤諦三さんの本はkindleに50冊ほどあり、全部読みきれてないもののほうが多いかもしれませんが、とにかく加藤諦三さんの本に触れることで5ヶ月前の自分よりも少しだけ心が軽くなり、今はほんの少しだけ前向きになれました。
加藤諦三さんはよく「うさぎとかめ」の話を持ち出すのです。
「もしもしかめよ、亀さんよ。世界のうちでお前ほど、歩みのおそいものはない」
こう言われた亀はなぜか、うさぎと競争します。
うさぎのことも同様に「神経症者」だとしています。
わたしは今まで、この亀のような生き方をしていたから心が苦しかったのだと思いました。
私は友達といても常にどちらが上なのかを競っていました。
頭の良さ、お金はどれくらいあるか、スポーツの才能はどれくらいか、容姿はどちらのほうがいいか、彼女はいるか、精神年齢が高いのはどちらか、そういうことを競っていました。
勝ってるときには喜び、負けてるときには悲しくなりました。
そして、自分には本当の友達などどこにもいないのだろうと思っていました。
亀は遅いから亀なのである。亀は亀が幸せになれるように生きたらよかった。
陸の上にあがり、本来の自分の生物上の体の構造を無視して、無理な努力をしています。
亀には亀のいいところがあります。亀は長生きで、硬い甲羅があり、海の中でも無限に呼吸を続けていられます。きれいな海の中を優雅にのんびりと泳いでいられます。そんな自分のいいところを無視して、うさぎと張り合ったのです。
私は、出会う人すべての人に認められたいと思って生きていたのです。電車の中に乗っている喋ったこともない赤の他人にすら認められたいと思っていました。
スーパーに行って、菓子パンを買えば、健康に気を使えない頭の悪い人間だと店員さんに思われているのではないかと考える人はいないと思いますが、私はそんなどうでもいいことを考えていました。
自分は自分らしく生きたらいい。そう思って日々頑張って生きていこうと思います。
このブログを書いている意味なんてありません。ただ、頭の中が少しスッキリするだろうか。自分のように悩んでいる人がいたらもしかしたら自分の気持をわかってくれるかもしれない。そんなふうに思って今このブログを書いています。
自分はなんのために生きているのか、それは自分を幸せにするためです。
誰かに認められるためではありません。
加藤諦三さんは「行動することでその動機を強化する」とおっしゃっています。
親や友達に自分の生きている価値があることを証明するためにテストの勉強を頑張る。そしてなんとかいい点をとってすごいねと言われる。そうして、その時自分の心は楽になる。
これは一見いいことのように見えますが、自分の心が弱っていくことに気がついていません。
なぜなら、テスト勉強を頑張った動機が「ありのままの自分では愛される価値がない。だからテストでいい点を取らなければ愛してもらえない。」というものだからです。
テストでいい点をとろうと頑張ることで、心は余計に自己無価値感を強めていきます。
友達に劣っていると心では思っている。だからテストで勝とうとする。必死に努力して友達に勝つ。優越感に浸る。その瞬間は心が楽になります。しかし、そうすることで余計に自分の劣等感が強くなります。
私の人生はこれを繰り返しまくっていた気がするのです。
部活でバスケットを頑張る。それはバスケットを好きで頑張っているのではない。「部活をやっていない人間では価値がない」そう思ってバスケットをやっていました。
勉強ができない人間では生きている価値がない。そう思って勉強を続けるうちにどんどんありのままの自分では価値がないような気がしていました。一回勝ってもまた勝たなくてはいけない恐怖感もありました。
怖いことにこの優越感は麻薬のようで、一回味わうとまた味わいたくなるんです。
しかし、そうするたびに自己無価値感が育ち、自分の劣等感はより大きなり、
気づいたら本当に自分は価値がなく人より劣っている。そう強く強く思い込むようになりました。
今このブログを読んでいる人には自分のようになってほしくはありません。
人は生まれた瞬間から劣等感を持つわけではありません。
生まれたときの周囲の人に劣等感を植え付けられてしまったのです。
子供は幼いときは認めてほしい、愛してほしい。そんなふうに思っています。
その幼児的願望が満たされないで育ってしまった人は、大人になってもその願望をもってしまい、誰にでも認めてほしい、そういうふうに思って生きてしまいます。
さて、ここまでごちゃごちゃ書いてきましたが、幼い頃に認めてもらえなかった自分はどう生きていきばいいのか、それは自分は自分のままでいい。そう唱え続けなければなりません。自分はありのままの自分で愛してもらえなかった。その事実を認めることは苦しいです。
しかし、何100回も何万回もとなえ続けなければなりません。
加藤諦三さんは人生は不公平だとおっしゃっています。
幼い頃に、一緒にごはんを食べながら、あなたにこれでもかとしつこく話しかけてくれる。「今日学校は楽しかった?」「唐揚げおいしいね」「あなたとごはんを食べれてお母さん楽しい。」そういう言葉をかけてもらいながら育った子供。
反対に一緒にごはんを食べながらもテレビに夢中で子供に無関心な親に育てられた子供。
両親が仲良しで、喧嘩もすることがあるけれど、最後にはお互い納得しあって前向きに生きている両親のもとに育った子供と、両親がいつも不機嫌でそこにいるだけで親に気を使い、自分の発言で何されるかわからない恐怖感とはりつめた緊張感を持ちながら育った子供。
明らかに違います。天国と地獄の差です。
天国で育った子供に張り合っても100%負けます。
心を経済に置き換えればわかります。
最初から土地を住む家を与えられた人と土地も家もなく、借金がたくさんある人
社会はさまざまな背景を持った人が頑張って生きています。
自分はどういう過去を持って生きているのか。
もう一度よく考えて、自分は自分らしく。そう前向きに生きていきたいと思っています。
〇茎手術を受けたときの話
こんにちは。おりょーです。
タイトルが恥ずかしすぎて○を追加しました。笑
けど、面白い話だと思うので共有すべく赤裸々に語ります。
これから包茎手術を受けようと考えてる方参考になると思います。
まず、自分は仮性包茎でした。
普段は先1cmくらい皮がかぶってなくて、勃起すると皮が剥ける的な感じ。
手術を受けたのは美容整形外科でした。
トータルでかかった費用は28万円(税込み)。
内訳として、
・手術代20万
・カリについてるぼつぼつを取る5万
・税金2万くらい
・あと薬とか麻酔とか?
カリについてるボツボツは仮性包茎の人が普段皮がかぶっているせいで、炎症を起こしているからできるそう。
ボツボツができる場所はちょうどカリの付け根?というか土手?
sexしたらそこが女性の穴の中で引っかかって気持ちいい的な?
場所です。
あと○んカスがたまるところって言ったらわかりやすいかな。
そこに自分はボツボツができていてそれを焼いて取りました。
→ちなみにこの焼いたせいで手術後は結構痛かった。多分これを焼いて取らなければもう少し手術後の痛みはなかったはず。
はい、どういうふうにズルムケにするかというと、
まず余分な皮を切ります。で、きったところをカリの手前に縫い付ける。
以上です。簡単です。手術の名前は忘れました。
麻酔は局所麻酔で行いました。
○ん○んに5箇所くらい注射された記憶があります。
手術中の痛みはその麻酔くらいですね。
手術時間は30分くらいでした。すぐ終わります。
で、手術が終わると、○ん○んがえのきになるくらい包帯をがんがんに巻かれます。
血をとめるため?圧迫する感じですね。
本当、えのきだった。グロいです。
もう2年位前のことなのでうろ覚えなのですが、その包帯を4日間くらい
つけっぱなしにしておくんです。
浮種ができないようにするためですね。
で、4日立つとその包帯は自分で取ります。
それで、自分で新しい包帯を自分でまきまきします。
手術から、2週間位。。。だったかな。
抜糸します。
自分は女性の方にやってもらったんですが、
○んこがっちがちにたってしまってました。笑
だって、2週間くらい抜くの禁止ですからね。
なんか妙にシチュエーションに興奮してしまったんです。
↑この文書いてるとなんかほんと自分変態すぎてキモいですね。
はい、で、抜糸が終わるとあとは傷が治るのを待つって感じですね。
以上が、手術から抜糸までの流れですね。
いろいろ気をつけておいたほうが良いポイントや、痛み対策語っていきます。
まず、包帯ガンガン巻きのまま寝ますよね?そうなると朝立ちしたときに
痛みで起きます。これがほんとにつらかった。朝立ちって朝だけじゃなくて、夜中に定期的に起こってるです。そのせいで寝れません。
手術受けたい人はそこ覚悟してください。
あと、↑でも書きましたが、抜歯するまでオ○禁です。
(あんまり参考にしてほしくないですが、自分は我慢できず、11日目くらいに抜いちゃいました。けど、大丈夫でした。けど、ホントはだめです。)
で、アメブロとかに手術経過書いてる人とかいるのでそういうのを参考にすると良いかもです。
それと、手術後は患部を冷やすようにしてください。はれます。怖いです。
自分は冷やすのを怠ったので、がんがんにはれて浮種みたいなのができてたんです。
浮腫ってなんか塊みたいなやつなんですけど、それがでかいまま、残ってしまう人もいるみたいなんですね。普通の人は吸収されてなくなるそうです。冷やすのを怠ったり、おなったり、医者の言うことを守らないとそういう後遺症になるので、お医者様の言うことは守りましょう。(アタリマエのこと偉そうに言ってます)笑
手術をしてよかったこととして、
・ち○かすがたまらなくなった!洗うの楽。てかそもそもかすがつかないので、シャワーでさっと洗うだけできれいになる。
・ぼつぼつとれた
・仮性包茎というコンプレックスの解消。銭湯行っても堂々と見せびらかせます。
・ニオイの改善。
・エッチのときも堂々としてられますよね。
結論僕は包茎手術を受けてよかったと思っているので、よかったら参考にして手術受けてみてください。
メンタリスト daigoさん できなかったことを出来るようにする方法 計画術まとめ
こんにちは。Daigo先生大好き、科学信者のおりょーです。
今回は、Daigo先生の計画術の放送から、自分が大事だと思ったことをまとめていきたいと思います。
それでは、いきまっしょう。
1.結果にフォーカスする×
過程にフォーカスする。
例えば、「ベンチプレス100kg上げる」という目標を立てたとする。
ベンチプレスが100kg上がってバンザイしてる自分の姿を想像する。
うまく言った自分を想像すれば目標達成できる、これは間違い。
想像に満足して実際に行動しなくなる。
そうではなくて、実際にベンチプレス100kg達成するには、タンパク質の量をふやさなくてはいけない、まずは、ベンチプレスのフォームを確認して、セット数はこれくらいで、6ヶ月で5kgずつ重量を増やすとすると一週間に2回位ベンチプレスをするか・・・
みたいな感じで実際にどう行動していくかを考えるのが正解。
2.わざと失敗するを作る。
例えば、ダイエットをしようとした時、カロリー制限や、食べるものもクリーンなものにしていくが、2週間に1日はわざと好きなものを好きなだけ食べる日を作る。
こうすることで、「あと〇〇日で、好きなものを食べられる!それまで我慢しよう」
となるので、厳しい食事制限でも頑張ることが出来る。
勉強にも応用できる。例えば、毎週土曜日だけは好きなだけ好きなことをして、勉強をサボるようにする。
では、上記ではダイエットは2週間に1回、勉強では1週間1回
のサボる日を考えたが、Daigo先生曰く、全体の15%をサボる量にしたら良いらしい。
ただ、このサボる日はあらかじめ作っておくことで効力を発揮する。
なんとなく、今日はサボる日にしちゃおーでは、意味がないので、注意。
3.なかなか上手く行かないな・・・→タスク(短期目標)にフォーカス
すごい、絶好調!!!→長期目標にフォーカス
例えば、3ヶ月後に控えた資格試験勉強の場合、
勉強が思うように進まない・・・嫌になってきた・・・
こういうときは、3ヶ月後のテストに受からなきゃ!やらなきゃだめだ!今頑張ることが未来につながるから!と自分を励ましても逆効果。
むしろ、「今日はあとこれくらい頑張ろう。今日できることをやろう。」と今にフォーカスしてタスクをこなすことが大切。
逆に「やばい!めっちゃ勉強捗る!このままいけば楽勝に合格できそう!」
ってときは3ヶ月後が待ち遠しいぜ!って感じで長期の目標を意識するとモチベーションが上がるので○。
短期目標と長期目標を使い分けてモチベーションを保とう。
4.心の準備の仕方。防衛的ペシミストと戦略的オプティミスト。
人間には「前は成功したけど次はうまくいくかわからん・・・不安。」っていう防衛的ペシミストと「前も成功したし、次もヨユーだわ!」っていう戦略的オプティミストがいるらしい。
例えば、試験やプレゼンなどを行う時に自分が防衛的ペシミストと戦略的オプティミストどちら7日によって、考えることを変えるべき。
防衛的ペシミスト→起こりうる最悪の状況まで想像する。あらゆる場面に対処法を考えておくことで、安心を呼ぶ。
戦略的オプティミスト→うまくいくことだけを想像する。とにかくトライアンドエラーで言うトライの数が圧倒的に稼げるので、結果的に成功するタイプ。
ちなみに、日本人は92%が防衛的ペシミストらしいので、あなたおそらく
防衛的ペシミストなのでは?
以上。参考になれば幸いです。
23歳の男が「最近ニキビができすぎて困っている」という20代男性に向けて、ニキビの原因と対策を話す。
こんにちは。おりょーです。
私事ですが、2019年12月頃から突如、両顎のフェイスラインに異常にニキビができ始め、それが止まらなくなり、非常に醜い状態になりました。
なんとかしてニキビを治したいと思い、洗顔を始めたり(洗顔すらしたことなかった)、化粧水を風呂上がりにつけてみたり(今まで、化粧水はベタベタして気持ち悪いからつけたくなかった)、乳液とやらをつけてみたり(ハトムギの乳液の匂いが嫌い、ハトムギさんごめんなさい。)、日焼け止めを塗って外出したり(完全に女子)、早寝早起きを心がけたり、食べ物に気を配ったり....とにかく、自分なりにやれることをやってみた。
が、一向にニキビは治ることはなかった。
当然だ。そもそも僕には上記のことを毎日コツコツと続けられなかったからだ。食べ物は好きなものを好きなだけ食べたいし、早寝早起きは1日坊主だし。さらに、これは個人差があるだろうが、僕にしたら化粧水をつけたり、乳液をつけたりすることに意味を感じられなかったのだ。つけた後は肌が喜んでいる感じはしなかったし、ベタベタして不快だし。
こうして、僕の意志力の弱さと、肌への外的処置のやり方、栄養学、睡眠に関しての圧倒的知識不足から僕のニキビは増殖し続けたのだ。
そんなこんなで、現在2020年4月。
僕のニキビは前と比べて激減した。
あることを実践したからだ。
僕がやったことは
・化粧水や乳液を塗りたくない
・早寝早起きしたくない
・好きなもの食べたい
・運動したくない
・洗顔すら面倒くさい
・正直ニキビは多少あってもよくね?ありすぎるとグロいけど。
もし、上記のようなことにあてはまるのなら、今から僕が教える簡単なニキビ対策を実践して欲しい。効果は1週間もすればでてくるだろう。
その方法はずばり
「"食べ過ぎ"をやめること」である。
...ん?と思われると思うし、知ってるって思うかもしれないし、そうだと思ってたとも思われるかもしれないが、僕の話を聞いて欲しい。
僕は明らかに毎日"食べ過ぎ"ていたのだ。
栄養価が一般的に高いと言われる者たちを。
どういうことかというと、野菜、例えばブロッコリーやほうれん草、にんじん、玉ねぎなどそういった栄養の高いもの、肉、魚、そして、白米これらを確かにバランス良く食べており、そして、たまにお菓子をつまむ。
一般的にみんなが食べているであろうものを"偏食"にならないようにバランスよく普通に食べていたら気づいたら"過食"になってしまっていたのだ。しかも、腹10分目まで食べていた。バランスがいいから良いだろうと。
そして、気づいたらニキビに犯されていた。
今もし読者が「三食きっちりバランスよく腹10分目まで食べて」いて、「ニキビがある」なら明らかにそれは食べ過ぎである。
僕は毎回の食事を必ず腹8分目にすることにしてからだいぶニキビは減って行った。
肌のケアはワセリンのみ。
睡眠は不規則。
そして、驚くかもしれないが1日に板チョコ2枚、アルフォート1箱食べてもニキビはできなくなっていったのだ。
一般的にどの情報サイトにもニキビはチョコレートやポテトチップスなど脂質が多いものを食べたら出来るものだと書かれている。
僕に言わせれば、
「そういった美味くて、自分が好きなものを我慢するから、他の栄養価が高く健康的な食べ物を食べ過ぎてニキビが出来ている」のだ。
例えばポテトチップスを一袋食べれば
満足が100得られる。ブロッコリーを食べれば満足が10得られるとすれば、ブロッコリーをポテトチップスの10倍食べなければ満足出来ないのだ。
...なんとも乱暴な計算だが、イメージとして僕はこのように捉えている。
だから、僕は次のことを提案したい。
「自分が本当に、心から満足が得られる食べ物を探し出し、それを適度に食べる」
こうすることによって、腹8分目で満足出来るようになるし、意志力の無い僕でも続けられた。
例えば昨日の僕の食べたものは
朝ごはん
・明治マカダミアナッツチョコレート×2箱
・板チョコ1枚
・コーヒー
昼ごはん
・おから(スーパーで売ってるお惣菜のやつ)
・キムチ一皿くらい
・コロッケ一個
夜ご飯
・唐揚げ3個
・ほうれん草のナムル
・カレーライス
である。これらはすべて僕の好物であり
僕にとっての満足度がかなり高いものである。僕は"〇〇といえば"をやめたのだ。
何を言っているのかというと、
朝ごはんといえば
・ご飯、焼き魚、納豆、味噌汁、漬物
・ご飯、卵焼き、味噌汁、漬物
・ご飯、目玉焼き、ソーセージ、味噌汁、漬物
・パン、スクランブルエッグ、スープ、牛乳
みたいな、「世間一般がイメージするような"美味しそうな"(あくまでもそうな)食べ物」をやめたのだ。
(朝からマカダミアナッツのチョコレートを食べるのは、世間的に頭おかしい人だ。と思われても仕方ないと思うが。なんでおかしいのか僕はわからない。)
朝からがっつり食べれないし、納豆ってそこまで美味しくないし(完全に個人的な意見)、卵絶対食べないといけないわけではないし、ご飯絶対食べないといけないわけではないのだ。
なんとなく、みんながこうしてるから、に乗っかるのはとても楽だが、自分の頭で考えることをやめてしまっては自分が本当に望むものは分からなくなってしまう。
自分が本当に好きな食べ物は何か?
こんなとこを考えたことがある人は少ないかもしれないが、これを考えることによって、食事量は激減すると僕は考えている。
そして、食事量が少ないことはニキビ減少につながると思う。さらに、僕は「栄養価が高く健康的な食事を食べ過ぎるよりも、偏食で食べる量が少ない人の方が健康になる」とすら考えている。
この辺については、また後日考えを述べたい。
ニキビの原因と対策から大きく脱線したが、
参考になれば嬉しい。