おりょーぶろぐ

みなさんが救われる一言を提供します!

自分にも他人にも関心が持てない人間

他人に気を遣いすぎる。友達と一緒にご飯を食べに行く。例えばサイゼリアに行く。席に座る。まず必ず自分はソファーの側には座らない。相手にソファーの側を優先させる。絶対にそうする。なぜなら嫌われたくないから。席に座れば、すぐに水をとってくる。もちろん友達の分を持ってくるため。水を持ってきて気遣いが出来るアピールをする。ありがとうと言われる。いい気分になる。何か勝ち誇ったような気分になる。してやったぞと気分になる。これで1ポイント先制した、といわんばかりの気分になる。決して相手のために水を持ってきている訳ではない。相手の心に映る自分が気になるからだ。こいつはいいやつだ、優しい人間だ、そういう風に移ることに満足する。

 

食事が運ばれてくる。相手はスパゲッティで、こちらはハンバーグだとする。いつ、相手に一口あげようかタイミングをうかがう。小皿を用意する。どうぞと差し出す。もし一口もあげずにハンバーグを完食してしまえば、こいつは食い意地を張るやつダと思われるかも知れない。だから、一口あげる。決して、相手を喜ばすためではない、自分の印象をあげるため。

 

仕事でもそう、自分の仕事ではなかったとしても相手が楽になるだろうなと考えて、ついでに相手の分の仕事までやってしまう。そして、それもさりげなく行う。ここで相手の分までやってあげたよなんて言ってしまったら台無しである。作戦失敗、印象ダウン、そこは絶対避けなくてはいけない。しかし、気付いてもらえなかったら腹がたつ。むかつく。他の人と笑顔で話していると相手の心に自分が映っていないようで、腹が立つ。

 

カップル+友達(1人)で遊ぶ人がいる。僕はカップル側でも、友達側にも入りたくはない、なぜなら、二人に対して自分の印象を上げる操作をしなくてはいけないからだ。そして、自分をおいて二人で笑顔で話されたら自分が悲しくなるからだ。自分という存在がありながら、自分を差し置いて笑顔で話し合おうなんて、むかつく。

 

生きてきて、24年と9ヶ月が過ぎた。自分には何もない。会社に勤めたこともある。1年と1ヶ月でやめた。大きなプロジェクトを目前に、逃げ出した。会社という組織は嫌いだ。僕は人間が嫌いだ。人間が憎い。人間として生まれてきたことが嫌である。なぜそうなってしまったのかはわからない。もう友達も切ってしまいたい。すべてなかったことにしてしまいたい。高校生の時に自分の好きだった子に振られて、自分より格下だと思う女に手を出した自分が嫌いだ。自分の目指していた大学に受かることが出来ずに予備校にも通わず、ぐーたらぐーたらして格下の大学に入った自分が嫌いだ。僕は自分にしか興味がないくせに、自分のことなど一つも分かっていないのだ。自分の事が嫌いなのだ。

 

加藤諦三さんの本を読みあさった。自分はこの人が好きである。なぜなら、真剣に人の心と向き合い、そしてわかりやすく人の心理を説明してくれているからである。難しい言葉も多々出てくるが、何冊も読んでいると、あああのとき出てきた言葉のことかとわかる。