自分が救われた一言。
こんにちは。おりょーです。
僕は現在、放課後等デイサービス・児童発達支援事業所で働いています。
それは、発達障害を抱えた小学生に療育を行うのが主な仕事です。
先日、AくんがBくんになんらかの注意をされました。
日頃、先生の発言を聞いている児童たちは先生の真似をして
「静かにして」「はやく座って」と注意することがあります。
それを聞いたAくんはブチギレてしまったのです。
Bくんに「うるさい」といいかえし、部屋の隅っこに行き
「僕が馬鹿だから。僕が馬鹿だからいけないんだ」と
腕をかきむしり、頭をかきむしるのです。
いわゆる自傷行為をしてしまいました。
それを見ていて私は、とっさにAくんの両腕を力づくでつかみ、
止めようとしまいした。「Aくんは別に馬鹿じゃないよ」と声をかけたのですが、
聞く耳を持ちませんでした。
自傷行為は、心の傷が大きくて抱えきれなくなったときに
体に痛みを与えることで心の痛みを感じないようにしているそうです。
自傷行為をしてしまうほど、心に傷をおっていたと考えると
こころが痛くなりました。こう言う現象を目の当たりにしても
何も出来ないなーなんて思ったりもします。
で、私のパートナーにその時なんて言えばよかったのかな?
と相談してみました。
そうすると、「そうやな、Aくんはバカからしゃーないなぁ」
っていうかもって言われました。
人間関係の断捨離
こんにちは。
おりょーです。
唐突ですが、僕は断捨離が好きなんです。
ずっと使ってないのに意味もなく残っているものが減っていく。
えいやっとゴミ袋に入れるときの爽快感。
終わった時にものが減ってスッキリする部屋の中。
大量にでたゴミ袋をみてニヤける瞬間。
・・・など、いろいろ断捨離の楽しさを書いてみました。
人間って多分、目に映るだけでその物体に対して無意識に
頭を働かせていると思うんですよ。
ずっと読んでないけど英語の勉強の本が目に写ったとき
あ、英語かぁ、、、勉強してないな、、サボってるな、、
ずっと着ていない服をみて、この服ずっと着てないや、、
捨てようかなどうしようかな
こうやって悩むことって地味に脳のエネルギーを使っていると思うんです。
だから、断捨離をすることによって無駄な脳のエネルギー消費を抑えて
他の大事なことにエネルギーを使えるようになると思うんです。
で、なんでいらないものって溜まっていくと思いますか?
だって必要だと思ったからその時買ったんですよね?
これがあれば助かる!これさえあれば!
みたいな感覚でその商品を買ったと思うんですよね。
でも、一回も着ることのなかった服。
一回しか開かなかった参考書。
一回しか使わなかった電気機器。
僕の場合、こうしたいらないものって自分に不釣り合いなものが多い気がするんです。
めちゃくちゃ高い時計。僕はボンビー男子なので1500円くらいの腕時計で満足できるんですけど、3万円位の時計も持ってたりするんです。けどいつつけるの?これ。
って思っているんですよ。
めちゃくちゃ高いかっこよさげな服買ってみたけど、これいつ着るの?
普段はユニクロで買った服ばっかり着ちゃってるんだけど。
張り切って英検の参考書買ったけど、いつ勉強するの?
ていうか本当に勉強したいの?
・・・などなどと思ってくるわけです。
で、結局こういったものを売っちゃったり、捨てちゃったりするんです。
でも後悔することってほとんどないんです。
あーやっぱり残しておけばよかったーーーなんてあんまり思わないんですよ。
むしろスッキリすることの方が多い。
・・・で、タイトルにかいた人間関係の断捨離。
これなにを言いたいのかというと、人間関係も断捨離したほうがいいんじゃないの?
と最近思うわけです。
自分には不釣り合いだけど、この人と一緒にいると自分の価値まで上がっちゃうんじゃないの?この人自分に何か楽しみを分けてくれるんじゃないの?
・・・はい。めっちゃよくない考えなのはわかっているんですが、僕はなんとなくこういう風に考えていました。特に学生時代。
スポーツ万能な人、勉強ができる人、面白い人、いっぱいいろんな人がいますが、
結局なんとなく自分をさらけ出せない相手、気を使ってばっかりの相手、話を合わせてばかりいる相手。
こういった人はぶっちゃけ切ってしまっていいと思うんです。
だって自分が息苦しいから。
その人に媚を売っても、利用しやすい相手くらいにしか思われていないでしょう。
立場を入れ替えて考えてみたら、自分ただの利用しやすいやつ、ってだけの可能性だってありますからね。
・・・とすごいネガティブにとらえてしまいましたが、
そういった自分にとって息が詰まりそうな人は考えるだけ時間の無駄だと思います。
自分の脳の容量をその人に向けないほうが良いと思います。
極端な話かもしれませんし、伝わらないような、ガキ臭いような話ですが、
どう思うか教えて下さいませ。
ダイエットについて
みなさん、こんにちは。
おりょーです。
僕は今まで筋トレで筋肉をつけることに成功したことはあるのですが、減量に成功したことは一度もありません。はい。一度もないのです。
成功したといえば1週間くらいサラダチキンとプロテインとチーズとアイコスだけで過ごして、体から水分を激減させ、5kgくらい一気に落とせたことくらい。
これって結局あとから反動で食べまくってしまうんですよね。
ほかには菓子パン禁止、お菓子禁止、野菜とお肉を中心に食べていこうという健康意識高めのダイエットをしようとしたこともありました。
結局これも反動で失敗。
要するに万年ダイエッターなんですね。
で、結局たどりついたのが「続けられないことはしてはダメ」という結論です。
菓子パン禁止なんて絶対に無理だし、アルフォート食べられない人生なんてやめてしまった方がいいです。笑
自分がなんとか続けられる範囲で、なんとか60点を出し続ける。赤点をとらないようにする。
自分は100点を毎日続けようとしてたんですね。で、ダメになったら12点くらいの食生活にもどるみたいな。
なんというかですね。
ダイエットについて学べば成功できるって思い上がってると思うんです。
栄養学の知識を身につける。
科学的に正しいダイエット!!!
とかいろいろありますが、結局
「知っていること」≠「出来ること」
なんです。
出来るかどうかは、本当に本人の状況によるんです。仕事でのストレスはどうか、友人関係はどうか、恋人との関係はどうか、アレルギーは何か、好きな食べ物は何か、嫌いなものは何か、好きな運動は何か、夜型か朝型か、いろっっっっいろな要素が絡み合ってできてるのが自分なんです。
だったら、自分にあった、自分だけのダイエット方法を見つけるしかないんですよ。
自分しかできないダイエットを。どれだけ人のダイエットを真似しても全て同じにすることなんて不可能ですし、自分で考えて工夫していくしかありません。
こういう風に書いていくと、「自分のような頭の悪い人間にはダイエットなんて不可能だ」「自分みたいな要領が悪い人間には工夫なんてできやしない。ましてや、効率なんて求めたら反対に非効率になってしまう」
...なんていう風に考えてしまいます。
でも、最近はそれでいいのだという風に思っています。効率が悪い、要領が悪い自分が自分なんですから、仕方ないと思うんです。
だったらほんっっとーーーーに簡単なことをほんっとーーーーに真剣に取り組んでいく以外に方法はないと思うんです。
野菜を取るようにする。
至極当然、当たり前、めちゃくちゃ簡単なことです。
しかし、どの野菜を食べたらいいの?
どういう風に調理したらいいの?
どういう食べ方なら続けられるの?
....などなどなどなど、改良しまくるところは山のように出てきてしまいます。
答えなんてありはしないんですのね。
答えは生きてても一生見つからないままだと思います。
僕は答えが大好きな人間です。答えって安心するんですよね。正解って気持ちいいんですよね。
でもそれが、なんというか人間の驕り、怠慢を招くような、成功出来なくさせる要因にもなりうるのかと思います。
本を読めば答えが書いてあるかもしれません。
しかし、実際にやってみてできるかどうかは別問題です。
人生で大事な方は実際にやってみる方です。
そう、自分に言い聞かせながら今日も頑張って生きて行きます。
bestよりもbetterを目指そう!
八方美人
八方美人。嫌われる印象ありますよね。誰にでもいい顔している人。信用できない人。加藤諦三氏の『心のかよわせ方』にて、八方美人をわかりやすく、説明している箇所がありましたので、紹介していきたいと思います。
「八方美人の最大の欠点は、人と親しくなる能力の欠如である。八方美人は相手の人格を認めないと言われる。八方美人は、半年の付き合いの人も20年前からの付き合いの人も同じに扱う。」
「誰にでもいい顔をするというのは、正確に言えば、相手の人格を認識する能力がないということである。」
「八方美人には相手がいない、自分しかいない。八方美人は鏡に向かって話すナルシシストのようなものである。」
→ナルシシストとは加藤諦三氏いわく、「自分を愛している人」と訳すのは間違い。正確には「自分の理想像を愛している人」だそう。
「八方美人にとっては、AさんもBさんも同じなのである。違いは何かというと、自分に対してどういう態度を取るかということだけである。つまり自分を褒めてくれれば"いい人"であり、自分を褒めてくれなければ"嫌な人"なのである。」
「八方美人は、自分の好きな人が分からない、自分が本当に得する人もわからない。だからずるい人間にとってはカモである。ずるい人間のカモになって、奴隷になって最後に捨てられる。八方美人は嫌いと言われることを避ける。気まずさを避ける。そして自分の意志を言わない。もっと言えば、自分の意思もない。」
「八方美人は、相手から許される感情で生きている。」
「八方美人は、相手の人柄そのものには何の関心もない。卑怯な人も、誠実な人もみな同じなのである。自分をちやほやしてくれれば"卑怯な人"も"いい人"になる。」
「八方美人は、(略)、ただ自分を誉めてくれるか、誉めてくれないかしか関心がない。すべての人に誉めてもらいたいから、すべての人にいい顔をする。」
いかがだったでしょうか。加藤諦三氏の言葉は自分には強烈に感じます。しかし、自分の中でも言語化不可能だった部分を言語化してくれるので、なんとなく読んでスッキリします。自分が八方美人だが、どうやったら治せるのかについては私もわかりません。しかし、「そうそう、そういう感情になるんだ。そういうことだったのか」と自分の感情を見つめ直すことができれば、自然と解決策もみえてくるのではないでしょうか。
これからも加藤諦三氏の本だけでなく、いろいろ心理学について勉強し、情報を発信していきたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。
妬まずにはいられない症候群 加藤諦三
『妬まずにはいられない症候群』という本を読みました。タイトルえげつない。思わず自分のことを言われているような気がしてamazonでポチりました。もちろん作者は「加藤諦三」氏。自分の推しです。
この本を読んだらだいぶ自分のことが書いてありました。24歳男にはだいぶダメージが大きかったのですが、この本を読めば、精神的に成長出来ると思うので、若い男性の方、ぜひ読んでみてください。
その中で自分が感銘を受けた(自分のことを言われているようでショックを受けた。)言葉や、そのとおりだと思って大切にしたい言葉を紹介していきたいと思います。
それではーーレッツラご!
「妬み は 欲張り の 別名 で ある」
妬み 深い 性格 の 人 は、 他人 を 誉める こと が 自分 の 価値 を 下げる こと で ある と 錯覚 し て いる。 他人 が 成功 する こと が、 自分 の 価値 を 下げる こと で ある と 錯覚 し て いる。 妬み 深い 性格 の 人 は、 自分 が 成功 する こと より、 他人 が 失敗 する こと の 方 が 大切 に なる。
加藤 諦三. 妬(ねた)まずにはいられない症候群(シンドローム) (Kindle の位置No.13-16)
「妬み深い性格の人は、カレン・ホルナイ(アメリカの女性精神分析学者)の言う神経症的競争をしている人たちである。自分が幸せになるように努力をするのではなく、他人が不幸になるようにエネルギーを使う。」
いや、ホント、エグい。そうなりたくないけど実際の自分はそういうふうになっている気がして。。。
神経症的野心とは
神経症 的 野心 は、 白雪姫 の 継母 の よう に、 ただただ 世界 で 一番 美しく なり たい という よう に 特定 の 一つ の こと に 目的 が ある こと も ある し、 そう で ない 時 も ある と、 カレン・ホルナイ は 言う。 すべて の こと が 他人 より 優れ て い ない と 気に入ら ない という 野心 も ある。 絵 を 描け ば 自分 は レンブラント で、 小説 を 書け ば シェイクスピア で なけれ ば 気 が すま ない。 水泳 では オリンピック 選手 級 で なけれ ば 気 が すま ない。 劇 では 小学校 の 時 に 有名 女優 と 競演 し た という よう な こと を 言い たく なる。 神経症 的 野心 を 持つ 女性 は、 スーパー ウーマン を 目指す。 妻 で あり、 会社 の 役員 で あり、 よき 母親 で ある。
加藤 諦三. 妬(ねた)まずにはいられない症候群(シンドローム) (Kindle の位置No.834-839). 株式会社PHP研究所. Kindle 版.
自分 が 美しく ても、 自分 以外 の 人 が 美しい こと が 気に入ら ない。 それ は、 自分 以外 の 人 に対する 敵意 で ある。 そして これ こそ 嫉妬 の 性質 なのでは なかろ う か。 自分 以外 の 人 が 注目 を あびる と 気に入ら ない。 だから 成功 し た 人 でも 妬み 深い 人 が 多い ので ある。
加藤 諦三. 妬(ねた)まずにはいられない症候群(シンドローム) (Kindle の位置No.854-857). 株式会社PHP研究所. Kindle 版.
カレン・ホルナイ に よれ ば、 神経症 的 競争 において は、 自分 が 成功 する よりも 他人 が 敗北 する こと が 大切 に なる。 要するに 足 の 引っ張り 合い で ある。
加藤 諦三. 妬(ねた)まずにはいられない症候群(シンドローム) (Kindle の位置No.858-859). 株式会社PHP研究所. Kindle 版.
嫉妬 深い 人 は 物事 に 関心 が ある のでは なく、 優越 し て いる か し て い ない かに のみ 関心 が ある。 まさに
加藤 諦三. 妬(ねた)まずにはいられない症候群(シンドローム) (Kindle の位置No.885-886). 株式会社PHP研究所. Kindle 版.
一口 に 言え ば、 神経症 的 競争 の 特徴 とは、 嫉妬 深い 人 の 性格 特徴 で ある。 若い 頃 私 を 苦しめ て い た のは 劣等感 でも ある が、 嫉妬 心 でも あっ た。
加藤 諦三. 妬(ねた)まずにはいられない症候群(シンドローム) (Kindle の位置No.898-900). 株式会社PHP研究所. Kindle 版.
→神経症的競争をする人は嫉妬深い性格特徴を持っている。劣等感+嫉妬心。しんどいです。
神経症的野心とは?
鬱病 の 本質 として、 ある 人 は 敵意 と 言う。 フロム・ライヒマン の よう に 必要 と 空虚 と 言う 人 も いる。 私 は 鬱病 の 本質 は 嫉妬 で ある と 思っ て いる。 私 が 嫉妬 という 理由 は、 嫉妬 と 言え ば 敵意 も 空虚 感 も 両方 入る からで ある。
加藤 諦三. 妬(ねた)まずにはいられない症候群(シンドローム) (Kindle の位置No.953-955). 株式会社PHP研究所. Kindle 版.
妬み は 破壊的 な 欲求 で ある。 日本 的 陰湿 な 社会 を 生み出し て いる もと で ある。 企業 における 年功序列 は、 神経症 的 競争 社会 が 生ん だ 発明 では なかろ う かと 私 は 思う。 成功 しよ う と する と 妬ま れる。 しかし「 年齢 だ から」 と 言え ば 成功 し ても 妬ま れ ない。 それ は また 人々 の 成功 の 恐れ を 和らげ て くれる。 年齢 に従って 地位 が 上昇 する から、 失敗 の 恐れ も 和らげ て くれる。
加藤 諦三. 妬(ねた)まずにはいられない症候群(シンドローム) (Kindle の位置No.988-991). 株式会社PHP研究所. Kindle 版.
妬み は 破壊的 な 欲求 で ある。 日本 的 陰湿 な 社会 を 生み出し て いる もと で ある。 企業 における 年功序列 は、 神経症 的 競争 社会 が 生ん だ 発明 では なかろ う かと 私 は 思う。 成功 しよ う と する と 妬ま れる。 しかし「 年齢 だ から」 と 言え ば 成功 し ても 妬ま れ ない。 それ は また 人々 の 成功 の 恐れ を 和らげ て くれる。 年齢 に従って 地位 が 上昇 する から、 失敗 の 恐れ も 和らげ て くれる。
加藤 諦三. 妬(ねた)まずにはいられない症候群(シンドローム) (Kindle の位置No.988-991). 株式会社PHP研究所. Kindle 版.
日本 が 欧米 に 追いつき 追い越せ という 目標 の、 次 の 目標 が 立て られ ない のは なぜ か。 今 までの 追いつき 追い越せ という 目標 が、 日本人 の 神経症 的 競争 意識 に 沿う もの だ からで ある。 神経症 的 競争 意識 以外 の 目標 では、 日本人 の 活力 を 生み出す 目標 に なら ない。 経済 復興 という 再建 も、 鬱病 者 の 得意 と する ところ で ある。
加藤 諦三. 妬(ねた)まずにはいられない症候群(シンドローム) (Kindle の位置No.1045-1048). 株式会社PHP研究所. Kindle 版.
「妬み深い人は過去に生きている」
「他人を妬んでいる人は生気がない。それは未来を見て意欲的になっていないからである。また素直でない。素直でないのは、自分が妬んでいる人に対して両価的になっているからである。妬んでいるが、心の底でその人に憧れている。憧れながらその人を憎んでいる。その人に迎合しながらも、その人の不幸を心の底で喜んでいる。」
→まさに自分のことを言われている。大学のときの友達が怪我をした、単位を落とした、そういう話を聞くと嬉しくなり、心の中でニヤついている自分がいました。自分は妬み深い人間なのでしょう。
「妬み深い人は、誰に対しても過去でしか人を見ることができないのである。そして視野が狭い。価値観が歪んでいる。一つのものさしでしか人を評価できない。」
「前向きに生きられない人の最大の楽しみは、他人の欠点を探し出すことである。」
「妬み深い性格のひとは自己蔑視をしているが、同時に自分にうぬぼれているのではなかろうか。うぬぼれている人は何の根拠もなくそう思い込んでいる。」
「やはり妬みは「自分にもできる」と思っていることを他人がして、自分がしないときに起こる。」
「自分の殻を破る時に人は不安と興奮に震える。これを避けてしまった時に、人の成功した話が羨ましくなるのである。」
妬み 深い 性格 の 人 は、 今 までの 自分 の 殻 を 破る 時 が 来 て いる のに、 怖く て 破れ ない で いる 人 で ある。
加藤 諦三. 妬(ねた)まずにはいられない症候群(シンドローム) (Kindle の位置No.1187-1188). 株式会社PHP研究所. Kindle 版.
「妬み深い性格の人は、「自分は他人からこう見られたい」という願望のために、「自分はこれがしたい」ということを犠牲にしてきた人である。あるいは、「自分がこれがしたい」ということが分からない人である。」
→まさに自分はこれであり、バスケが上手になればかっこいい、いい大学に入ればかっこよく見られる、お金持ちになれば人からよく見られる、そういう他人の心にうつる自分がいいものか悪いものかだけが自分の生きる判断基準になってしまっていました。
「自分で自分を尊敬できる人は、それほど失敗を恐れない。成功と失敗とに関係なく、自分には勝ちがあることを知っているからである。自分で自分を尊敬できる人は、失敗の可能性があってもそれに挑戦できる。しかし自分で自分を軽蔑してしまった人は失敗を恐れる。そこで超安全を選ぶ。したがって何もできない。世の中には超安全なことなどそれほどたくさんあるわけがないからである。」
「神経症者は他人を傷つけることに極端に鈍感で、それでいながら加害恐怖を持っているということができる」
→加害恐怖は自分が嫌われることを恐怖しているということで、他人への思いやりとは全く逆の性質である。あくまでも自分に執着する結果としての恐怖である
「欲望はたいてい、単に欲しいものについてよく知らないために生まれる。人は自分の知らないものを欲しがっている。肝心なのは、普通の場合、欲しがったものと手に入れたものの間に差があるということである。求められているのは、想像で作り出されたもので、その特徴は、想像力によって歪められている。想像ではある程度どんなものか分かるが、それ以外のことは分からない。心の中で描いたイメージと実物の間には違いがある。」
→これはほんとにびっくりした。そのとおりだと思った。食べるまでは食べたくて仕方がなかったシャトーブリアン。食べてみると油っこくて、ハラミのほうがおいしいのではないかとなって、願望がなくなる。下品な話になるが、高校生の時に女の子とsexしたくてしたくてたまらなかったのに、こんなものかとなった。女の子の下の部分の匂いで自分の息子の元気がなくなったことにショックも受けた。おそらく100人切りをしている男性、女の子というものを知っている男性は女の子をそれほど欲していないのだろう。お金が欲しくてたまらない人ほどお金を持った時にどうしていいかわからなくなるのではないのでしょうか。
「ナルシシズムとは、よく日本語で自己愛と約される。そこでこれが誤解される。自分を愛することは心理的に望ましいことだし、自分を愛する程度にしか人を愛せないからである。正確には、理想的自我のイメージを愛するということである。」
→世間的にはナルシストとは、自分のことを愛してやまない人のように思われているのではないでしょうか。私自身もそのように考えていました。ナルシストは理想的な自分を愛しているのであり、自分自身を愛しているのではない。
「「復習的」という言葉が、不幸な人生のキーワードである。復習的とは心が屈辱に痛んでいることである。心が屈辱に痛み、怒りに震え、泣き叫んでいる状態である。悔しくて悔しくて気持ちが収まらない心理状態である。自分を傷つけた人たちばかりでなく、すべてのものを許せない心理状態である。」
「そもそも妬み深い性格のひとは、他人を理解する能力が欠如しているのである。彼らは自己中心的であるから、自分のことにしか関心がない。他人は他人で辛い重みをしながらそれなりに笑顔を作って生きているということが理解できない。」
「妬み深い性格の人は他人の努力がわからないが、が逆に自分のしたわずかな努力を大変な努力と勘違いする。」
「『嫉妬の心理学』という本に嫉妬の四条件というのが書かれている。
1ー自分と同等か、それよりも劣っているものが優位に立つ。
2ー自分の嫌いなもの、軽蔑しているものが優位に立つ。
3ー自分と同性のものが優位に立つ。
4ー自分よりも優れたものから優位を誇示される。」
「私自身、若い頃、「人間性、人間性」とよく言うことがあった。それは 自分の能力の劣等感からの反動形成として人間性、人間性と騒いでいるだけであって、言葉とは逆に最も人間性を軽んじていたように思う。人間性、人間性と一言も騒がない人のほうがずっと人間性を重要視していたように思う。」
「他人が自分に対してどのような態度をとるかに自分の勝ちが依存している以上、傷つきやすいのは当たり前である。他人は自分の望む通りに自分に対して振る舞うわけではない。」
「他者の中にある自己のイメージに自分の価値がかかかっている人は傷つきやすい。」
「諦めるということは、人生を積極的に生きるということである。諦めるということは人生を明らかにするということである。諦めるということは、自分に与えられてたものに気がつくということである。諦めるということは自分の能力を活かすということである。」
「ナルシシストについてヴィリィの説明を『夫婦関係の精神分析』から惹かせてもらう。「ナルシシストは、自己価値観が不確かで、相手を独立した個人としては認められず、単に[自己愛的な対象]として、自身の自己を拡充するものとして、何か自分自身を満たし、補足し、装飾し、高めるものとしてしか相手を認知できない」」
「僻んで妬んでいる人に対するアドバイスは、ひがんでいないで「自分だってやれば出来る」と信じて現実と取り組むことである。僻んで妬んでいる人は、他人の功績を意識するあまり、自分の特徴を忘れてしまう。自分が過剰に意識している他人と同じ酒類の功績を挙げなければ行けないと勘違いしてしまう。人はだれでも自分に適した功績をあげればいいのである。社会に対して、会社に対して、仲間に対して、家庭に対して、同じ種類の貢献をしなければいけないなどということはない。僻んで妬んでいる人は、どうもこの点を忘れていいるようである。この点を忘れているということは、自分の価値を忘れているということでもある。」
「妬みの原因は劣等感と優越感である。自信のある人は妬まない。自信と優越感との違いは、妬み深い性格かどうかである。優越感を持っている人は自信がなく、妬み深い。」
「「なぜこうも終始心配事で心を煩わせていなければならないのか」という問いに、シーベリーは次のように答えている「それは自分であることを放棄したから」」
「自己蔑視の原因はカレン・ホルナイによると自己憎悪である。」
いかがだったでしょうか。
何か一つでも心に刺さる言葉があれば幸いです。
私は人は掛けられた言葉でできていると考えています。人は記憶できていないのではなく、言葉は潜在意識には蓄積されていくが、思い出すことができないだけであると思います。人生のある場面で、「あ、加藤諦三の本で読んだときに書いてあった言葉と同じような心理的反応が起こった」と思い出すかもしれません。だから読書はやめられないと思います。
それでは。
加藤諦三さんの本で出てくる難しい言葉説明
神経症者、神経症的自尊心、この「神経症」とはなにか、Wikipediaに乗っていたのでしょうかいする。
間違えた、Wikipediaにのっていたのは神経症的要求の方だった。
以下、Wikipediaの引用
ホルナイは神経症的要求には4つの特徴があるとしている[1]。
- 神経症者のする要求は非現実的である。
- 自己中心性
- 神経症的自己中心性は特に悩みに表れる。たいていは「自分一人だけが」悩んでいると思っている。さらに自分の陥っている悩みが最大の悩みと思っている。相手がニコニコしていると悩んでいないと思う。神経症者は「かたち」でしかものを考えおらず、表面的にしか物事を見ていない。自分が相談しようとしている相手はあるいは現在の自分よりももっと大変な問題を抱えているかもしれない等ということは想像すらしない。相手の感情を無視し、相手に個人としての人格を認めない。「私にとって大切なもの」が「他人にとって必ずしも大切なもの」ではないことが理解できない。誰にも不必要に自分の恥部を打ち明けて話をする人はたいてい自己中心的である。打ち明けることで相手からの同情や保護を求めているためである[1]。
- それにふさわしい努力をしないで、それを求める
- 自分のしてきたことを棚に上げて、要求だけはする。その要求が通らないと相手を酷い人だと恨み、或いは社会は不公平だと社会を恨む。現在の自分の悩みが今までの生き方の結果だと言うことを理解しない。そのため常に他人を責める[1]。
- 復讐性
- 自分の理想像への強迫的執着がある。虚栄心が強く、現実の自分の実力、能力、適性を無視して、何としても「理想の自分」になろうとする。神経症者は何としても出世をしたいが、皆から尊敬されるものであれば、何でもよく、自分がそれを好きか嫌いかは問題ではない。そのため、神経症者は自分が何を好きか嫌いかが分からなくなってくる。虚しさを名誉やお金で埋めようとする。成功しても達成感、満足感がなく、幸せになれない。なんとかして自分を嘲笑したものを見返してやりたい、なんとかして親の失望を取り返したい、そうした感情が無意識の領域にある。「見返してやりたい」と努力する人は神経症で、自分の価値を信じて努力する人は心理的に健康な人と加藤諦三は説明している[1]。
・・・読んでいると頭が痛くなる。まさに自分のことだと思う。
どこに行っても自分はお客様だと思ってしまう。バイトでも仕事でもそう。わからないことは絶対に教えてくれるべきだ。と思ってしまう。そう言われればそうだとなるかもしれないが、自分の頭で考えるべきことにもどこかに正解が存在し、それでなくては絶対嫌である、と思ってしまう。
虚栄心が強い、高校生のときにも自分はテストの点数をよく嘘をついて公表していた。
自分を神経症者に仕立て上げたいと思っているのも事実。だが、もう社会の中に出て明るく生きようなど、懲り懲りなのである。あの照りつく太陽の中で、笑顔溢れる人と接し、一緒に努力し、何かを成し遂げ、喜び合う。友達、彼氏彼女、親、祖母、祖父、親戚、同僚、部下、上司、社長、もう人間に会いにいくのが本当に疲れてしまった。勝手にしてほしい。もうひとりで生きていきたいのである。ほっといてほしいのである。静かに死んで行けばいいじゃないかと思うがそれは嫌なのである。毎日からあげは食べたいし、一人で静かに散歩がしたくなることもある。お金が欲しいのである。なんと意地汚い考えだろうか。水道ガス電気、今の自分の体、この生命、耳、目、四肢すべて誰かのおかげで存在している。今記事を書いている自分の脳みそも、教育があってこそこうやって書くことができている、いままでどれだけの方々のご迷惑となったか、そう考えれば今、誰かのために頑張らなくては行けないのではないかという気持ちになる。今住んでいる家は大工さんのおかげである。賃貸の契約のときには不動産の仲介があってこそ、契約できた。僕は書くという仕事で食っていけるようになりたい。書くことで自分を高めていきたい。書くことで、人の気持を楽にし、書くことで自分の気持を楽にしたい。